先月、店も5年目に入りました。
この4年間の間に、私の役目は全うできていたのかと再確認させられます。
毎年5月15日はそんな思いにさせられる節目の日なのであります。
伝えたいことを物を売るという方法でやってきましたが、これからどうなっていくのでしょう。
この金沢という土地で、この方法で、そもそもこの考えが正しいものなのか。
私は器のあり方を伝えるためにこれから何をやるべきなのでしょうか。
5周年を迎えるまでに考えがまとまれば良いのですが。
今ある現状を変えて行くのは体力の必要な事ですが、やらなければいけないことがまだまだ残っている気がします。
The person of a trip.
2014年6月9日月曜日
巴有吾有
今朝、戸棚の奥から引っ張り出してきた器。久しぶりに手に取ると鮮やかな日々の記憶が蘇ってきました。
私がまだ大学を卒業したばかりの頃。学び半分、遊びたい半分、で東京へ出た時のことです。
あの頃の神楽坂は居心地が良く、下町の味わいある風情を色濃く残した穏やかな街だったのを記憶しています。
街をぶらぶらとあてもなく歩いていたところに、ぴんときた店が一件。
それが喫茶店 巴有吾有(パウワウ)でした。
足を踏み入れたことも無いその店は何の店かもわからぬまま、表の「アルバイト募集」の張り紙を目にし翌日には履歴書片手にパウワウを訪ねていました。
あまりの緊張に、店員さんに履歴書を手渡して逃げるように店を出たのを覚えています。
ゆくゆく一緒に働くこととなる女性は、「きっとあなたなら受かるわよ」と声をかけてくれたのが本当に心強いものでした。東京でのバイトは初経験だったもので。
その後私はパウワウから住まいが一番近いということもあり、週6日勤務、13時間労働という色んな意味でスレスレな勤務をこなし、マスターや社員さん、バイト女性陣との酒盛り、愉快な人々との出会いもあり、本当に思い出深い職場となりました。
コーヒーが飲めなかった私も、今やすっかりカフェイン依存症。これもパウワウのおかげだと思っています。
パウワウには本当に濃いキャラクターが日々、集っていました。
あげるとキリが無いのですが、特に記憶しているのが通称「キャンディ」。
キャンディキャンディの主人公のように髪がくるくると巻き毛だったので私たちが勝手にキャンディと呼んでいた、中身は完全にフランス人のおじさんです。
キャンディに街中で会おうものなら最後、耳元で甘い(卑猥)言葉をささやかれ強引に食事に誘われます。(主に蕎麦屋の志な乃など)
しかし神楽坂が醸し出す粋な空気感のお陰で、なんだかそういったことも笑いで流せるような、そんな他の街には無い緩やかな魅力が神楽坂にはあったように思います。
私がバイトをはじめて1年たたないうちに、店は神楽坂再開発の影響を受けて閉店を余儀なくされました。
あの店を再現することはもう絶対に叶わないことです。
言葉ではなかなか表現できないけれど、例えるとすればあの店の色は35年分のコーヒーと煙草の色。
時を経たものの美しさに目覚めたのはこの頃だったのかもしれません。
閉店後は店内の家具や食器が方々へ旅立ってゆきました。
高知県の喫茶店、社員さんの家、お客様の家、みちよさんのアトリエ、私の手元にも。
全国各地へ旅立っていったパウワウのかけらたちは今もゆっくりと時を重ねているのでしょう。
譲り受けたコーヒーカップはkinyaさんという作家さんの作品、毎日くるみのケーキをのせていたお皿は安藤雅信さんの作品です。
日々使われていた器たちは色が染み込み、縁がすり切れ、唯一無二のパウワウの空気を今も身に纏っています。
マスターとサスケ(柴犬)はいなくなってしまったけれど、今もみんなの中ではあの頃のままなんだろうな。
今朝はこのカップでコーヒーを飲みながら、久しぶりに皆さんにお会いしたくなりました。
2014年5月30日金曜日
近況
三ヶ月というものは長いもので、気がつけばあっという間に過ぎ去っていました。
ここ最近は器に関わっているということが本当に幸せであり、こういった仕事に就けている環境に心から感謝しています。
そして感じることは、それぞれがこの場所を離れたあともきちんとした使い手のもとへ届いているということ。
それは遠方であれ、お互いにやりとりする言葉、その端々から感じます。
不思議なものでそれは人がものを選んでいるというより、もの自体が望んでその人のもとへと旅立っているようなのです。
縁は人と人ばかりでなく、人とものにも必ずあるということ。
いつだったか
あなたは人と人、人とモノを繋げる人。それは生まれ持ったもの。
と言われたことがあります。
当時は半信半疑でありましたが、最近はちょっとばかり感じつつあります。
いつまでこの仕事を続けているかわかりませんが(急にすとん、と身を引く日がくるのでしょうか)今ある幸せを日々感じていきたいものです。
ここ最近は器に関わっているということが本当に幸せであり、こういった仕事に就けている環境に心から感謝しています。
そして感じることは、それぞれがこの場所を離れたあともきちんとした使い手のもとへ届いているということ。
それは遠方であれ、お互いにやりとりする言葉、その端々から感じます。
不思議なものでそれは人がものを選んでいるというより、もの自体が望んでその人のもとへと旅立っているようなのです。
縁は人と人ばかりでなく、人とものにも必ずあるということ。
いつだったか
あなたは人と人、人とモノを繋げる人。それは生まれ持ったもの。
と言われたことがあります。
当時は半信半疑でありましたが、最近はちょっとばかり感じつつあります。
いつまでこの仕事を続けているかわかりませんが(急にすとん、と身を引く日がくるのでしょうか)今ある幸せを日々感じていきたいものです。
2014年2月15日土曜日
2014年1月23日木曜日
パンのはなし
昨日本屋さんで立ち読みした雑誌はパン特集でした。
パン派かごはん派かという話題は耳にチョココロネが生えてきそうな位にもはや、聞き飽きてしまった話であります。
で、私はごはん派です。
パンはすごく美味しくて、美味し過ぎて、一種の憧れの存在。
ほらこうやってイラストにしても様になるし、素敵だよね、パン。
ひとつ食べはじめたら、明日の朝食にと思って買ったパンもあれよあれよと胃袋におさまってしまいます。(アンデルセンのパンでよくやってしまう)
金沢は地方の割にパン激戦地域だそう。
たしかにおいしいパン屋さんには困らないです。
お店のパンも大好きなのですが、友人が何年か前に甘酒天然酵母で作った、干しぶどうの入ったパン。
あれがもう一度、もう五度ほど、食べたいです。
かれこれ長く生きてきて一度も本格的なパンを作ったことがありませんでしたので
ちょっくら作ってみたいです。
やっぱりはじめはカレーパンだろう。
2014年1月18日土曜日
ごはんもろもろ
タイトルを付けるのがとことん苦手です。
さて今夜の一本。
福井のお酒「白岳仙」
辛口の風味とキレの良さ、はじめ口にした時は飲み慣れない味だったので少々驚きましたが
何回か飲むと少しずつ慣れてきました。
スモーキーな風味もする不思議。
最近は一品出して食べ、片付け。
また一品出しては食べ、片付け。
という晩ご飯の取り方です。
これに変えてからは、ながら食いが減りました。なおかつ、できたてうまい。
良い音楽がお供です。
お刺身はいつも半額です。もはや定価で買う人がいないので、お魚屋さんの存続が若干不安であります。
今度はちゃんと定価で買います。きちんと貢献します。
中華味のおかずばっかり作っています。
冒険しないで、きちんとレシピ通りに作ることを覚えた2014年。
きちんと作れば自宅でもこんな本格的な味になるのです、気がつくの30歳とか遅過ぎわろた。
器は大好きな吉田直嗣さんのボウル皿。
これに盛れば大体まとまります、助かります。
〆におうどんを用意していたのですが、お腹がはち切れそうだったので無理でした。
着物いろいろ
着物の密かに好きな部分、八掛。
裏地の裾部分に付ける布です。
ちらと見えるところにも綺麗な色をしのばせておきたい、女心。(多分)
ふあー、眺めてるだけで白飯三杯いけますわ。
って位にじろじろ見ていて飽きません。
☝
次回の教室で着てみようと思っている、大島紬。
さらさらシャリシャリとした、あの独特の手触りなので勝手に大島だと思っているのですが、暗く落ち着いたものだけでなくこんな鮮やかな色味もあるのですね。
って大島じゃなかったりして、はずかし。
一見して自分好みじゃないと思ったけれど、毎日じっくり眺めていたら噛み締めるほどに味わいが…
するめみたいなもんですね。
☝
こちらはどのような織物かよくわかりません。
ざらざらふかふかしていて、長い年月をかけて着ていくと馴染んで良いヴィンテージになりそうな雰囲気です。
こちらは保存状態がよろしくなかったのか裏地に大量のシミが、泣けます。
柄は好みなので、シミは見ないように普段着としてどしどし使ってみようと思います。
☝
こっちも先ほどのものと似た生地。ですので不明。
とにかくこれ系の色味が好みなので、柄とか関係なく手に取ってしまう傾向にあります。
洋服も似たようなものばっかり揃えるところがあるので(ネイビーとグレーばっかり)
せめて着物では多少の冒険はしていきたいです。
とはいえ、魅力的なんだなあ、この色。
帯が全然無いので、手に入れたい欲求に駆られています。
骨董市だ、リサイクル着物だ、わっしょい
登録:
投稿 (Atom)