2014年6月22日日曜日

節目

先月、店も5年目に入りました。
この4年間の間に、私の役目は全うできていたのかと再確認させられます。
毎年5月15日はそんな思いにさせられる節目の日なのであります。
伝えたいことを物を売るという方法でやってきましたが、これからどうなっていくのでしょう。
この金沢という土地で、この方法で、そもそもこの考えが正しいものなのか。
私は器のあり方を伝えるためにこれから何をやるべきなのでしょうか。
5周年を迎えるまでに考えがまとまれば良いのですが。
今ある現状を変えて行くのは体力の必要な事ですが、やらなければいけないことがまだまだ残っている気がします。

2014年6月9日月曜日

巴有吾有


今朝、戸棚の奥から引っ張り出してきた器。久しぶりに手に取ると鮮やかな日々の記憶が蘇ってきました。
私がまだ大学を卒業したばかりの頃。学び半分、遊びたい半分、で東京へ出た時のことです。
あの頃の神楽坂は居心地が良く、下町の味わいある風情を色濃く残した穏やかな街だったのを記憶しています。

街をぶらぶらとあてもなく歩いていたところに、ぴんときた店が一件。
それが喫茶店 巴有吾有(パウワウ)でした。
足を踏み入れたことも無いその店は何の店かもわからぬまま、表の「アルバイト募集」の張り紙を目にし翌日には履歴書片手にパウワウを訪ねていました。
あまりの緊張に、店員さんに履歴書を手渡して逃げるように店を出たのを覚えています。
ゆくゆく一緒に働くこととなる女性は、「きっとあなたなら受かるわよ」と声をかけてくれたのが本当に心強いものでした。東京でのバイトは初経験だったもので。

その後私はパウワウから住まいが一番近いということもあり、週6日勤務、13時間労働という色んな意味でスレスレな勤務をこなし、マスターや社員さん、バイト女性陣との酒盛り、愉快な人々との出会いもあり、本当に思い出深い職場となりました。
コーヒーが飲めなかった私も、今やすっかりカフェイン依存症。これもパウワウのおかげだと思っています。

パウワウには本当に濃いキャラクターが日々、集っていました。
あげるとキリが無いのですが、特に記憶しているのが通称「キャンディ」。
キャンディキャンディの主人公のように髪がくるくると巻き毛だったので私たちが勝手にキャンディと呼んでいた、中身は完全にフランス人のおじさんです。
キャンディに街中で会おうものなら最後、耳元で甘い(卑猥)言葉をささやかれ強引に食事に誘われます。(主に蕎麦屋の志な乃など)
しかし神楽坂が醸し出す粋な空気感のお陰で、なんだかそういったことも笑いで流せるような、そんな他の街には無い緩やかな魅力が神楽坂にはあったように思います。

私がバイトをはじめて1年たたないうちに、店は神楽坂再開発の影響を受けて閉店を余儀なくされました。
あの店を再現することはもう絶対に叶わないことです。
言葉ではなかなか表現できないけれど、例えるとすればあの店の色は35年分のコーヒーと煙草の色。
時を経たものの美しさに目覚めたのはこの頃だったのかもしれません。

閉店後は店内の家具や食器が方々へ旅立ってゆきました。
高知県の喫茶店、社員さんの家、お客様の家、みちよさんのアトリエ、私の手元にも。
全国各地へ旅立っていったパウワウのかけらたちは今もゆっくりと時を重ねているのでしょう。

譲り受けたコーヒーカップはkinyaさんという作家さんの作品、毎日くるみのケーキをのせていたお皿は安藤雅信さんの作品です。
日々使われていた器たちは色が染み込み、縁がすり切れ、唯一無二のパウワウの空気を今も身に纏っています。

マスターとサスケ(柴犬)はいなくなってしまったけれど、今もみんなの中ではあの頃のままなんだろうな。
今朝はこのカップでコーヒーを飲みながら、久しぶりに皆さんにお会いしたくなりました。